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(財)日本ボーイスカウト神奈川連盟横浜地区

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そなえよつねに Be prepared 

ボーイスカウト活動とは、仲間たちと自然の中で遊びながら、いろいろなことを身につけて、より良き社会人を目指す活動です。ボーイスカウト横浜第89団では、神奈川県横浜市青葉区・都筑区(あざみ野駅・江田駅・中川駅周辺など)を拠点に活動 を行っています。

ボーイスカウトにまつわる話                   

無名戦士の記念碑
子どもの国にある無名戦士の記念碑

第2次大戦中、激戦の南洋諸島のある島でのお話。
重傷を負った1人の米兵が倒れていました。
そこへ剣付きの銃を持った日本兵が通りかかります。
気付いた米兵は「あっ、殺される」と思った瞬間、気を失ってしまいました。

しばらくして目覚めた米兵。もう日本兵はいません。
そばに落ちていた白い紙切れに気付き、何気なくポケットに入れます。
そのまま野戦救護所に担ぎ込まれ、一命を取り留めました。

その時拾った紙切れに、こんなことが書かれていました。

「君を刺そうとした時、君はぼくに三指の礼をした。
ぼくもボーイスカウトだった。ボーイスカウトは兄弟だ。君もぼくも兄弟だ。
それに戦闘力を失ったものを殺すことは許されない。
傷には包帯をしておいたよ。
グッドラック」

戦後、この米兵は米国のボーイスカウト連盟本部を訪ね、この話を伝えました。
1952年、米国のスカウト本部の役員が来日した際、この話を日本側に伝えました。

米兵は本名を明かしていません。
日本兵は戦死したようです。
無名のスカウト戦士の間のできごとです。

この無名の日本兵の行動こそ日本の武士道精神、スカウト精神の結晶です。

スピルバーグ少年時代

スピルバーグ監督
「最初に映画を作ったのはボーイスカウトで賞をもらうためでした。
私は12歳のときボーイスカウトに入っていて技能賞を集めていました。
そのときの賞のテーマは写真で物語を表現しなさいというものだったのですが、私の家にはなぜかスチールカメラがなく父が買ってきた8ミリカメラしかなかったのです。
そこで、そのカメラを借りて映画を作ることにしたんですよ。
そして、自作のサイレント映画をボーイスカウトの仲間たちに上映会を開いて見せたんです。

そしたら、私の映画を見てみんな大笑いしたり手をたたいたりして大いに盛り上がったんですよ。
そのときに初めてうわっ!もっと映画を作りたい。もっとみんなのリアクションが見たい。映画って、こんなにも人に影響を与えるものなんだ!と思ったのです。」

2012年2月22日(水)放送 NHK クローズアップ現代
永遠の映画少年 スピルバーグ 〜創造の秘密を語る〜より抜粋
サトウハチロー
  • 「からだで おぼえたものは はなれない」                           サトウハチロー
  • 手でおぼえる 足でさとる 目に焼き付ける 胸にしみこますボーイスカウトの仕事は すべてこれだ これなんだ    水くみひとつにしても 上手下手がある 米をとぐのもめしをたくのも                        玉ねぎをむくのも ジャガ芋の皮を 剥ぐのも 遊び半分ではできない できない なれない仕事で涙ぐむと母の顔が浮かぶ力のいる仕事でへばると 父の顔が見える         我と我が身をはげましても 情けなさがあふれて あたりの風景にもやをかける  のりこえろ のりこえろ       からだでおぼえたものは からだからはなれない はなれない手でおぼえる 足でさとる 目に焼き付ける 胸にしみこます満足につとめを果たした夜のキャンプファイヤーの火はすばらしい                          静かにじっと眺めていると さわやかな 本当にさわやかな虫の声が                         首にしみこむ 背中にしみ通る 
 
 


     各隊活動内容

  ボーイスカウト横浜第89団